忘れもしない2年前の2016年10月10日。
日本3名山の一つ、金沢にある白山(標高2700m)に登ったときのこと。
自分の身に起こったちょっと不思議な出来事を書いてみたいと思います。
満天の星を堪能し、雲海から昇ってくる神々しいほどのご来光を拝み、朝弁当を食べいざ下山。
前日悪天候だったものの、当日はうそのように晴れていました。
元から悪い左膝をかばっていたせいか、上りから徐々に反対の右膝が痛くなり、下りはかなりの苦戦を強いられました。体力的にキツイ山ではないのですが、とにかく右膝の痛みに耐えながらの一歩一歩。最後の1ラウンド、ようやく登山口付近にある吊り橋が見えてきました。
あと300M・・・
なんとあろうことか滑落したのです。しかも何の障害もない木道で。
ゴール直前の気の緩みに違いないのですが、
今考えても木道で滑ったとか、つまづいたとかいう記憶が全くないのです。気づいたら木の茂みが目の前に迫ってきて、周りの景色はどんどん加速。
マズイっと思った次の瞬間とまったのです。背負っていたリュックが重石となって絶妙なポジションで。
(10Mくらいの滑落でした。あとから聞いた話、2回転してとまったようです。)
その瞬間、生かされたと思いました。
それでも、少しでも動いたら二次滑落しかねない状況。上を見上げれば崖。下を見れば谷底まで急斜面が続いています。
人間死に直面すると、本能的に生きようと思うもの。一度は助けていただいた命、力の続く限りがんばらねばと思いました。
必死すぎて、死の恐怖を感じている余裕もなかったというのが正直なところですが、、、
そこからは体力勝負。
自分でもびっくりするほど冷静に、長期戦に備えなるべく消耗しない体勢に整え、そばにたまたまあった木の根っこにつかまりながら、一時間以上その体勢でじっと耐えていたでしょうか。
遠くの方で救急車の音が聞こえてからも、レスキューが到着するまでかなりの時間を要しました。
踏ん張り過ぎて足も痺れてきて、もう限界と思ってから10分、20分。。
レスキュー隊が到着してからはあっという間でした。
はじめに、なんとも心もとない細い綱を下ろしてくれたのですが、すでに木の根っこにつかまっており、へたに手を放すとバランスを崩しそうで、やっとの思いで綱につかまりました。
すぐに、レスキューの方が命綱一本で降りてきてくれ、ベルトを装着し引きずり上げてもらったのですが、その際、さっきまで確かにあったはずの木の根っこが何と跡形もなく消えていたのです!!
確かにつかまっていたあの木の根っこは、まぼろしだったのか???今でもナゾです。
その後、いろいろな方から起こった事象の解釈をいただきました。
その木の根っこは、祖母だったのでは? 父だったのでは? ゴールはすぐそこで、すべてを手放しても絶対誰かが助けてくれるから大丈夫 etc
どの解釈も思い当たる節があり、本当に有難く思っています。
それからしばらくして、これ私のこと?とズバリのことが書いてある本に出会いました。
“ 崖から転げ落ちた人が、途中で木の枝をつかみ一命をとりとめます。けれども、そこから這い上がることもできず、身動きもできません。下は千尋の谷です。その人は枝にしがみついたまま叫びました。「神さま、助けてください」と。
すると神はこう答えました。「わかりました。あなたに手をさしのべましょう。しかし、まずその手を放さなければ、あなたの手を取り、助けることができません」
このお話のように、何かを手放さなければ、素晴らしいものは手に入りません。
両手に荷物を持ったまま、「もっと欲しい、もっと欲しい」と言っているようなもので、その手を開けなければ、どんなチャンスがやってきてもつかめないのです。”
(2017年 廣済堂出版 ヨグマタ相川圭子著 「ヒマラヤ大聖者の幸運を呼ぶ生き方」 より引用)
周りでも、両手に荷物を持ったまま、階段を踏み外して骨折したとか、転んだとかという話を結構耳にします。
アドバイスできる方には、この話をお伝えしているのですが、自分へのメッセージでもあると思っています。
あれから2年、まだまだ手放すべきものはいっぱいありますが、少しずつ手放す努力は続けています。
いろいろなモノ、コトが過剰になっているこの世の中で、逆に「手放す」ということがどんなに難しいことか。。
皆さんはいかがですか?
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