· 

ポルトガル旅行記③  ~コインブラ/トマール/ファティマ編

滞在4日目。

 

ポルトから約1.5時間、コインブラへ。

 

.コインブラ(@ポルトガル)

ポルトガル建国時からリスボンに遷都されるまでの首都。

ポルトガル最古、ヨーロッパでも有数の名門、コインブラ大学が中心の街。

 

●コインブラ大学(旧大学)
「無情の門」とも呼ばれる鉄の門をくぐると中庭に。
正面に見えるのが、学生たちが「カプラ(山羊)」と呼ぶ時計塔。18世紀に建造されたもので大学のシンボルです。
 
学部ごとにシンボルカラーがあるらしく、赤は法学、青は科学、黄色は医学、紫は薬学、紺は文学だとか。
卒業式だったのか、女学生たちがマント投げをしているのに遭遇。何だか青春ですね。
ちなみに、この女学生たちは黄色いリボンをつけていたので、医学部生。
右側の階段を上がったギャラリーは、ラテン回廊と呼ばれ、かつてはここではラテン語を話すことが義務づけられていたとか。

 

回廊から、学位授与の儀式に使われていた帽子の間などに入ることができる。学生用の牢屋もあってびっくり。

●ジョアニア図書館
残念ながら写真NGでしたが、何よりも圧巻だったのが、世界遺産にもなっている、この図書館。蔵書は30万冊にもおよぶそう。金泥細工の内部装飾や調度品がとにかく素晴らしいです。ディズニー映画『美女と野獣』に出てくるシーンにそっくりとか。
ちょっと面白かったのが、本の虫食い対策にコウモリを飼っているのだとか。夜行性なので昼間はもちろん出てきませんが、こんなに観光客で賑わうこの場所のどこかで眠っているかと思うと不思議な感じがします。
300年の歴史の重みを感じる図書館、一見の価値ありです!

 

●アローシュ・デ・パット(鴨の炊き込みご飯)
昼食は、鴨の炊き込みご飯。
味濃いめですが、普通においしかったです。
そして、甘~いデザート。
これには、途中でギブアップする人多数(笑)
ポルトガルでは、ミネラルウォーター並みの値段でワインが飲めますが、デザートを見越して始めから、コーヒーかホットティーを頼むのがコツだったりして。。
あ、アイスティも甘~い缶の紅茶が出てくるので要注意です。
コインブラから約1時間ちょっと、トマールへ。

 

5.トマール(@ポルトガル)
レコンキスタで活躍したテンプル騎士団に与えられた街。
ポルトガル最大の修道院と4年ごとに行われるタブレイロスの祭りで知られている。
ちょうど今まさに、華やかなタブレイロス祭(2019年6月29日~7月8日)が行われている頃ですね。
お祭りのハイライトは、日曜午後に行われるパレード。純潔を表す白衣を身にまとった数百人もの女性たちが、頭にお盆(タブレイロ)を載せ街を歩く。
お盆には花や色紙で飾られた串刺しのパンが身長と同じ高さまで積まれ、その重さはなんと30kgになるとか。
14世紀に、ディニス王に嫁いだイザベル王妃が創立した修道院が、町の貧しい人たちにパンとワインと肉を配ったことに由来。

 

 

 

●キリスト修道院

〇南門

リスボンのジェロニモス修道院を手掛けたスペイン人建築家、ジョアン・デ・カスティーリョが1515年に建造。
スペインのサラマンカで生まれたプラテレスコ(銀細工)様式で装飾されている。
〇テンプル騎士団聖堂
回廊の奥に、テンプル騎士団の円堂があります。エルサレムの聖墳墓教会に倣って12世紀後半に造られた、ロマネスク様式の聖堂。外見は16角形なのに、内部の礼拝堂は8角形の構造になっている。円堂は、エルサレム神殿の丘に建つ「オマール・モスク(岩のドーム)」をモデルにしたと言われる。
〇キリスト騎士団聖堂
マヌエル1世の命で16世紀初めに建立。
テンプル騎士団聖堂とつながっており、西側部分は2階の聖歌隊席になっている。しっかり、マルタ十字ありますね。
 
〇マヌエル様式の窓
キリスト騎士団聖堂の西壁にあり、サンタ・バルバラの回廊から見ることができる。
上部にはキリスト騎士団のマルタ十字と国の紋章、さらにロープ、鎖、サンゴといった大航海時代を象徴するモチーフが刻まれている。

 

 

 

さて、「ダ・ヴィンチ・コード」、「天使と悪魔」でも出てきた、何かと秘密めいた「テンプル騎士団」。
実は、現在の金融システムの礎を築いたとも言われるのをご存知でしょうか?
テンプル騎士団は、当時莫大な資金を元手に各国の王たちに金貸しをしていた。いよいよ返済に困った王たちが、借金を踏み倒し、テンプル騎士団の財産を奪おうとした。
 
フランス王フィリップ4世からの強い圧力のもと、教皇クレメンス5世は、フランスをはじめとする欧州のほとんどで、異端の罪によって、テンプル騎士団を廃止したのだとか。
 
ところが、ポルトガルだけは、レコンキスタ(イスラム教徒からの国土奪回運動)に貢献したという理由で、キリスト騎士団として存続を許されることになった。
 
このテンプル騎士団の資金が、のちのちの大航海時代、ポルトガル全盛期につながっていくのです。。 

 

トマールから約1時間、ファティマへ。
6.ファティマ
第1次世界大戦中、聖母マリアが出現するという奇跡が起こった街。
いつも巡礼の人の波が絶えない、カトリックの聖地。
*ファティマの奇跡*
1917年5月13日、羊番をする3人の子供の前に聖母マリアが現れ「これから5か月間、毎月13日にここで平和を祈る」と告げる。
聖母は毎月増え続ける群衆の前に現れメッセージと預言を与え、最後の10月13日に、この地に礼拝堂を建てるよう告げたという。
1981年、元ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がバチカンで狙われたのは偶然にも同じ5月13日だった。
 
重傷を負った法王はその後奇跡的な回復を果たし、マリア様のご加護があったたためとして、翌年の5月13日にお礼参りとしてファティマを訪れている。
 
夕食までの間に、散歩がてらホテルから徒歩3分くらいのバジリカへ。バジリカ周辺は、かなり宗教色の強いお土産物屋がずらりと並ぶ。
 

 

●バジリカ
巨大な広場を前に、高さ65mの塔をもつネオ・クラッシック様式のバジリカがそびえたつ。
 
大広場の収容人数は30万人以上ともいわれ、毎月13日、特に5月と10月の大祭には10万人もの巡礼者で埋め尽くされるそう。
 
バジリカ前の広場中央にキリスト像が立ってる。その足元からは泉が湧き出して、飲むこともできるらしい。
時間も時間だったからか、残念ながら閉っていました。。
●出現の礼拝堂
左側に出現の礼拝堂。ここは聖母が初めて3人の子供たちの前に現れた場所。
奇跡を目撃した3人のうち、祭壇に向かって左側にフランシスコ、右側にジャシンタとルシアの墓がある。
●三位一体教会
大広場の南西側には、2007年に完成した近代的な聖三位一体教会。

 

*聖母マリアのメッセージと預言*

翌月の6月13日、村人は3人とともにその場所に集まったが、何も起こらなかった。しかし3人にだけは聖母マリアの姿が見え、声が聞こえたという。
この話は近隣の町や村へ伝わっていき、最後の出現の日である10月13日には、奇跡をひとめ見ようと7万人もの人々が集まっていた。
3人が祈ると、それまで降っていた雨が突然やみ、太陽が火の玉のように回り始めた。
そして聖母マリアはやはり3人だけに聞こえる声で、この地に礼拝堂を建てるように言い、3つの予言を告げたのである。
その予言とは、一つ目は第1次世界大戦の終結。二つ目は死者の国への訪問だった。
やがて聖母マリアの予言通り第1次世界大戦は集結し、フランシスコとジャシンタは神に召された。

 

1920年代後半からこの地への巡礼が盛んになり、1930年にはファティマは聖地として認められた。

ところで、気になる3つ目の予言。
その内容は口外することを許されず、ひとり生き残ったルシアと法王のみが知っているとされていた。
しかし、2000年になって、それは1981年のヨハネ・パウロ2世銃撃を予言したものだったことが発表された。
そして、2005年2月、ルシアは97歳で天に召され、4月にはヨハネ・パウロ2世が逝去した。

 

まあ、諸説あるので、どの説が本当だかわかりませんが。。

 

着いた時には、雲ひとつない真っ青な空だったはずが、不思議な雲が次々現れ、帰るころには、何とクロスの雲が出現。

 

しかもバジリカの中央に立たないと、クロスには見えないのです。

 

この時間、この場所でいったい何人の人がこのクロスの雲に気づいたのでしょうか??

 

なんとも奇跡が起こりそうな空気感に包まれたファティマの話はこの辺にして。

 

ポルトガル語で戦いを意味する街、『バターリャ観光』へ続く。。