滞在6日目。
9.リスボン(@ポルトガル)
前の晩にリスボン入りしていましたが、ポルトガル最終日はリスボン観光。最終回です!
●ベレンの塔
正式名は、「サン・ヴィセンテの塔」。
16世紀、テージョ川を行きかう船を監視し、河口を守る要塞として建てられた見張り塔。
大航海時代、長く危険な航海を終え無事に帰り着いた船乗りたちを温かく迎え入れる、故郷のシンボル的存在。軍事的に機能したのちは、船の通関手続きを行う税関や灯台としても使われた。
ジェロニモス修道院と並んでマヌエル1世の命で築かれた、マヌエル様式を代表する建築のひとつで、レースを施した純白のドレスをまとった貴婦人として例えられることも。
作家・司馬遼太郎は著書の中で「テージョ川の公女」と称賛しているとか。こちらも世界遺産です。
●発見のモニュメント
大航海時代の幕開けを導いたエンリケ航海王子の没後500年にあたる、1960年に建てられた記念碑。大航海時代を切り開いた偉人たち。
先頭に立つのは、カラベル船の模型を持つエンリケ航海王子。
2番目は、アフリカ・ポルトガル帝国を形成したアフォンソ5世。
3番目は、インド航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマ。
5番目には、初の世界一周を果たしたマゼラン。
ちなみに、12番目(写真では右から2番目)は、我が大学の原点でもある聖フランシスコ・ザビエル。
彼がポルトガルから遠くはるばる日本までやってこなかったら、日本にキリスト教は布教していなかったかもしれませんね。
後ろの面と合わせると全部で32人。
天文学者、宣教師、船乗り、地理学者など、この時代に活躍した人々が続く。。
エレベータで高さ52mの屋上にあがれば、展望デッキからテージョ川の眺めが一望できるそう。
●4月25日橋
モニュメント前の広場から撮ったものですが、1966年に開通したテージョ川にかかる、変わった名前のこの橋。
当初はこの橋を建造した独裁者の名にちなみ、サラザール橋と呼ばれていた。
1974年4月25日、アントニオ・スピノラを中心とする革新派軍人グループがクーデターを起こし、新政府が誕生。
ポルトガル人はこの事件を「リスボンの春」と称し、革命を記念して4月25日橋と改名。
ヨーロッパ旅行者向けウェブサイトで、2014年にヨーロッパで最も美しい橋第1位に選ばれたとか。
ちなみに、第5位は、3日目に行った、ポルトのドンルイス1世橋♪
日本発見は、1541年?!
同じくモニュメント前の広場に、大理石のモザイクで世界地図と各地の発見年号が記されている。
キリスト教伝来は1549年、種子島の鉄砲伝来は1543年、、、
と教科書で習った気がしますが、ポルトガル側の記録では、日本発見は何とその2年前の1541年。
ポルトガル船が豊後(大分)に漂着し、領主の大友宗麟にカボチャの種が贈られたのが最初だそう。
ここで、スリ情報! 若干警戒モードです。
ぱっと見観光客の女性二人組。現地の人にはわかるそうです。
確かに観光客の団体がくるとそれなりに賑わいますが、このだだっ広い広場で、どうやってスリを働くのか逆に見てみたい気もする。。
●ジェロニモス修道院
エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業をたたえ、また新天地開拓へと乗り出していく航海の安全を祈願して、マヌエル1世が1502年に着工。東方貿易でもたらされた巨万の富がつぎ込まれ、約1世紀かけて完成。
その完成度の高さから、ポルトガル建築の最高峰と称えられ、1983年にベレンの塔とともに世界遺産に登録された。
確かにすごいのですが、毎日教会やら修道院やらを観光しているとさすがに見慣れてきて感動が薄れるのが残念なところ(笑)
写真右下は、聖人ジェロニモスの肖像。
マヌエル1世の守護聖人。その足元には、彼に足の棘を抜いてもらったことから、お供となった獅子がかしずく姿が描かれている。
設計者は多くのマヌエル洋式建築を残した巨匠ボイタックと、彼の死後に引き継いだスペイン出身のジョアン・デ・カスティーリョ。
1階をボイタック、2階をカステーリョが設計しており、同じ建物なのにそれぞれ形状が違うのが面白いです。
ロープや珊瑚、アジア・アフリカの動植物など、航海にちなんだモチーフがいろんなところに見てとれるます。
誰かさんに似ているような、こんな壁画も(笑)
●ジャカランダ
ジャカランダってご存知ですか?
実は、世界三大花木の一つなのだそう。
フランボヤン(鳳凰木)、スパトデア(火炎木)。
そして、このジャカランダ(紫雲木)。
私はポルトガルに来て初めて知りました。。
そして、ポルトガルではこの時期ジャカランダが見頃で、「ジャカランダは、どこで見れますか?」
旅行中、何人もの個人旅行の日本人に聞かれました。。
車窓から眺めた、大使館前の通りが一番きれいだったような。。
「紫の桜」とも言われる、ジャカランダ。
私は、やっぱりサクラ色の桜の方が好きですが、皆さんはいかがでしょうか?
リスボン中心街に戻ってきました。
見ての通り、結構な坂道が多く、もちろん普通に歩くこともできますが、このようなケーブルカーが何本か走っています。
ケーブルカーで辿り着いた先には、、
●サン・ペドロ。デ・アルカンタラ展望台
どこかで見たことあるような。。
そう、何年か前の消臭力のCMでミゲル君が熱唱していたあの場所です。
リスボンの街並みが一望できます。
午後からは自由行動。
まずは、ロシオ広場のキオスクで、1dayチケットを購入。
いきなりバスをおろされても、全く土地勘がないので、まずは街を一周して同じ場所に戻ってくる市電(トラム)12番に乗ろうと隣のフィゲイラ広場へ。
待てどくらせど、12番がやってこず、バス乗り場も飽和状態に。。
1時間待ってもこないため、一旦ランチタイム。
戻ってきても動いている気配がないので、あきらめて徒歩でバイロ・アルト地区を散策することに。
●サンタ・ジュスタのエレベーター
20世紀初頭にエッフェルの弟子のフランス人建築家によって造られた、クラッシックなエレベータ。
頂上は展望台になっていて、リスボンの街並みが一望できる。
上には、バイロ・アルト地区へ通じる連絡橋もあり、一気にカルモ教会の裏側に出ることができる。
後ろの方まで並んでます、、
こんなエレベーターができたり、トラムが発達したのがわかるような。。
歩き始めて気づいたのが、結構な坂道が多いこと。
この日は晴れていてそれなりに暑かったこともあり、この坂道が結構堪えました。
楽しみにしていた、コルクやウールのお店でもお目当てのものは見つけられず、トホホな感じで、再びトラムリベンジ。
結局、トラム15番に乗り街の雰囲気を味わいつつ、地下鉄に乗り換え早々にホテルまで戻ってきたのでした。
それにしても、結構な人でにぎわっていたリスボン。
何と最終日の6月13日は、リスボン最大のお祭りの一つ、聖アントニオ祭(別名、イワシ祭り)当日だったのです。
どうりで、トラム12番も待てど暮らせど来ないはず。あとで聞いた話、街中のケーブルカーもお昼から早々に止まっていたとのこと。
交通手段がストップし、タイムリミット半日の観光客には少々辛いものがありましたが、普段とはまた違うリスボンを味わえたのはラッキーだったのかなとも思います。
夜から始まるパレードや名物のイワシの炭火焼きの屋台など。。
翌日早朝便だったため、今回はのんびり味わうことはできませんが、
このお祭りを目指して、初めからリスボン入りするというのも良いかもしれませんね。
久しぶりに世界遺産いっぱいの宗教色の濃い旅♪
知っていそうで知らないポルトガル、訪れてみたくなったでしょうか?
5回の長きに渡ってお付き合いいただきありがとうございました!